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画集・展覧会図録

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153 - 『生誕100年記念 ヘンリー・ミラー絵画展』図録

ヘンリー・ミラー ブンユー社 1991年 29.5×22.0cm 127P

軽い折れあり 監修:久保貞次郎 カラー図版170点
*1991年にヘンリー・ミラーの生誕100年を記念して東京、福岡、静岡を巡回した展覧会のカタログ。

◆ヘンリー・ミラー Henry Miller(1891-1980)は、「北回帰線」(1934)「南回帰線」(1938)などで知られるアメリカの作家。自伝的であからさまな性描写が多かった両「回帰線」はアメリカ国内では1960年代まで発禁となっていたが、アメリカで最も広く読まれている作家となった。彼の描く水彩画や版画も高く評価されており、日本でも展覧会が開催され、画集を残している。

1,000円/ 税込価格 1,100円

152 - 『ONOSATO オノサト・トシノブ』

オノサト・トシノブ 南画廊 1964年 30.2×21cm 44P

発行:南画廊 発売:美術出版社 カラー図版14点、モノクロ図版4点
テキスト:久保貞次郎、瀧口修造、オノサト・トシノブ
パラフィン破れ、多少の経年変化はありますが、概ね良好

◆戦後の現代美術を画商として主導した志水楠男の南画廊が発行したオノサトの画集です。
「あなたはなぜ『円』をえがくかと、時々質問をうけるのであるが、私自身では、これほどあたりまえなことはないではないかと思うのである。(中略)『円』は、私にとって目的でも、主題でもないようである。」というオノサト自身のことばが印象的です。

◆オノサト・トシノブ(おのさと としのぶ)は、1912年長野県生まれ、本名・小野里利信。
10歳のとき群馬県桐生に移り住む。津田青楓洋画塾に学ぶ。日本の抽象美術の先駆者として、親友の瑛九らとともに戦前、戦後と前衛美術の道を歩み続けた。35年黒色洋画展を結成、38年には自由美術家協会会員となる(〜56年、以後無所属)。41年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国。64年、66年にはヴェネツィア・ビエンナーに日本代表として出品、国際的にも高い評価を獲得した。
油彩の他、約200点の版画作品(リトグラフ、シルクスクリーン)も残した。東京国立近代美術館など多くの美術館に作品が収蔵されている。生涯、円を描き続け86年死去。

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151 - 『元永定正 ハンドブック』

金関寿夫 高橋亨 現代版画センター 1980年 22×11cm 59P

図版・写真:38点(モノクロ) 
金関寿夫「こんな絵を描いたやつの顔見たい、元永定正のこと」、
高橋亨「元永定正のファニーアート」、元永定正 略歴

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149 - 『没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展』図録

駒井哲郎 資生堂 1991年 26×18cm 63P

収録図版:85点(油彩、水彩、銅版、木版、モノタイプ) テキスト:中林忠良、野見山暁治、駒井美子、福原義春、中村稔、河合晴生、 解題:綿貫不二夫 出品リスト 年譜 
企画・編集:資生堂企業文化部、アルスマーレ企画室  デザイン:ディスハウス(北澤敏彦)
*シリーズ企画<資生堂ギャラリーとそのアーティスト達>の第1回展図録

◆「銅版画の詩人」と謳われた駒井哲郎(こまい てつろう 1920〜1976年)は、戦後の荒廃した中でいち早くサンパウロビエンナーレ展で受賞し、棟方志功とともに「版画王国日本」を世界に知らしめた功労者である。若くして日本版画界のスター的存在となり、その後の現代版画をリードし、多くの俊秀を育てた。
東京芸大教授のまま56歳の若さで死去したが、駒井の初個展は1953(昭和28)年に銀座の資生堂ギャラリーで開催された。このカタログは、ゆかりの資生堂が没後15年を記念して1991年に開催した回顧展の美しい図録である。従来のカタログと異なり、モノタイプやカラー銅版など、「色彩画家」としての駒井の側面を強調した内容になっている。

詳しい略歴は、http://www.tokinowasuremono.com/editiong/9komai.html をご参照下さい。
また世田谷美術館の駒井哲郎展カタログに執筆した私の拙文、
http://www.tokinowasuremono.com/essayg/komai01.html も併せてお読み下さい。

1,000円/ 税込価格 1,100円

148 - 『砂丘・子供の四季』サイン本

植田正治 朝日ソノラマ 1978年 20.7x21.7cm

テキスト:山岸章二、草森紳一 図版93点 植田正治直筆サイン入り
*1978年に朝日ソノラマからソノラマ写真選書11として出版されたもので、「童暦」をもとにして、砂丘シリーズの代表作と合わせ1948年から1975年の作品を収録しています。

下に掲載するのは、収録作品の一つで、オリジナル・プリントが2008年に開催したときの忘れものの「植田正治写真展」に出品したのでご紹介します。

「童暦」は、1971年に中央公論社から「映像の現代」第3巻として出版された写真集のタイトルです。1955年頃から1970年頃までに撮影され、写真誌等で発表されてきた作品をまとめたもので、植田正治のフィールドである山陰の自然の中で子供たちの姿を四季を通して捉えたシリーズです。
紹介する作品は、その「冬」からの1枚です。畑の中の一本道、どなたも東山魁夷の1950年の作品「道」を連想されると思います。植田正治ももしかすると「道」を見ていたかもしれません。しかし、東山の道の両脇にあるのは青々とした夏草で、日差しさえ感じさせる一方、植田の道の両側は既に葉のなくなった桑畑で、まっすぐに伸びた白い道の彼方には、マントでも羽織っていそうな二つの影があり、寒風の冷たさを感じます。形は似ても、その印象はまるで異なる作品です。
植田正治は暗室作業を楽しんで行っていました。この作品についても、焼くたびに両脇の畑の焼きこみ具合や、道の白さが違っていて、1枚として同じプリントはないそうです。


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147 - 『靉嘔版画全作品集「虹」1954-1982増補版』

久保貞次郎編 靉嘔 Ay-O 叢文社 1982年 29.7×22.7cm 303P

テキスト:久保貞次郎 靉嘔 図版:モノクロ 156点、カラー 295点 収録リスト 略年譜
*1979年に刊行された同名の作品集にその後制作された作品を加え、1982年までの版画作品のカタログ・レゾネとして新たに刊行された。それぞれの作品に靉嘔自身が詳細な解説を加えていて、作品を理解する上で非常に良い資料になっています。
残念ながら出版社が倒産してしまい、いまや入手困難なカタログ・レゾネです。

◆靉嘔(あいおう)は、1931年茨城県生まれ、東京教育大学卒。デモクラート美術家協会に参加し画家としての出発点で瑛九に大きな影響を受ける。デモクラートの解散声明は靉嘔が起草した。58年渡米し、ニューヨークにアトリエを構える。62年前衛集団「フルクサス」に参加。66年ベネチア・ビエンナーレ出品。69年ジャパン・アート・フェスティバル大賞をはじめ、現代日本美術展、東京国際版画ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなど多くの国際展で受賞。90年日本芸術大賞、95年紫綬褒章受章、日本を代表する現代美術作家として活躍。「虹の靉嘔」と言われる鮮やかな画面構成は国際的にも高い評価を受けている。

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146 - 『菅井汲版画集 オリジナル・リトグラフ2点付 特装本』

菅井汲 大岡信 美術出版社 1970年

無綴じ 状態はほぼ良好。テキスト:大岡信 図版:カラー26点、モノクロ14点
特装版限定80部(34/80)
挿入作品
1)「太陽と地球」 1969年 リトグラフ 34×25.7cm  鉛筆サイン うすシミあり
2)「朝」 1969年 セリグラフィ 34×25.7cm  鉛筆サイン 状態良好

◆1970年に美術出版社から刊行された豪華作品集です。スピード狂だった菅井先生は、67年愛車を運転して交通事故、瀕死の重傷を負いましたが奇跡的に回復します。その直後に制作された2点の美しいオリジナル版画が挿入されています。

◆菅井汲(すがい くみ)は、1919年兵庫県生まれ、本名・貞三。
18歳で阪急電鉄宣伝課に入りデザイナーとして活躍、プロ野球の阪急ブレ−ブスのマークや、戦後初めての甲子園野球大会のポスターなど制作した。はじめ中村貞以に日本画を学び画家を志すが、52年フランスに渡り、以後晩年までパリに暮らした。渡仏後はクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。55年から版画制作を開始し、リトグラフ、銅版、シルクスクリーンなど生涯に約400点を制作した。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞した。
1996年日本で死去。没後、東京都現代美術館他で大回顧展が開かれ、単身で世界に挑み、成功をかち得たこの作家の存在の大きさにあらためて感銘を受けた人も多いでしょう。

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145 - 『SUGAI』オリジナル・リトグラフ2点付特装本

菅井汲 ジャン=クラランス・ランベール リブロポート 1991年

函付 テキスト:ジャン=クラランス・ランベール 訳:永盛克也
特装版:限定99部(42/99)
挿入作品
1)「作品」リトグラフ 23×16cm 限定99部 鉛筆サイン
2)「作品」リトグラフ+エンボス 26.5×20cm 限定99部 鉛筆サイン

◆菅井汲(すがい くみ)は、1919年兵庫県生まれ、本名・貞三。
18歳で阪急電鉄宣伝課に入りデザイナーとして活躍、プロ野球の阪急ブレ−ブスのマークや、戦後初めての甲子園野球大会のポスターなど制作した。はじめ中村貞以に日本画を学び画家を志すが、52年フランスに渡り、以後晩年までパリに暮らした。渡仏後はクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。55年から版画制作を開始し、リトグラフ、銅版、シルクスクリーンなど生涯に約400点を制作した。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞した。
1996年日本で死去。没後、東京都現代美術館他で大回顧展が開かれ、単身で世界に挑み、成功をかち得たこの作家の存在の大きさにあらためて感銘を受けた人も多いでしょう。

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139 - 『リルケとフォーゲラー展』図録

ギャラリー譚詩舎 2008年

山梨県清里・「ギャラリー譚詩舎」で開催された展覧会図録
「二十世紀前半は史上希にみる激動の時代だった。とりわけドイツ語圏は、第二帝政興隆期、第一次世界大戦、ワイマル共和国時代、そしてナチ独裁制時代、第二次世界大戦と、社会はほとんど十年単位で目まぐるしく、しかも根こそぎ変化するというありさまだったから、この時期を生きてゆく詩人や芸術家はだれしも社会の激流に翻弄されて苦しみ悩んだ。たいていの人は5年ないし10年ぐらい表舞台で活躍すると消えてゆくというふうに、文学・芸術の担い手も激しく交代した。その間にあって、時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いたのは小説家トーマス・マンと演劇人ベルトルト・ブレヒトだけといってよい。詩人にはそういう存在は見当たらないが、さしずめリルケが長生きしたとすれば、その二人と肩を並べる仕事をしたかもしれない。しかし反ナチズム色の弱い、壮大な内面世界の構築を推し進める方向のものとなったであろうと想像される。ところでフォーゲラーについてはどうだろう。彼は時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いた人だったといえるのか。あるいは、フォーゲラーの人生は錯誤の連続だったのだろうか。」(神品芳夫 「リルケとフォーゲラー」より)
1911年(明治44年)12月、雑誌「白樺」はハインリッヒ・フォーゲラー特集号を出し、柳宗悦が「フォーゲラーの芸術」という題の評論によって、フォーゲラーを日本に紹介しました。そのとき口絵に使われたのは「春」(1896年)でした。 
今夏、ギャラリー譚詩舎では、ハインリッヒ・フォーゲラーの初期のエッチングを展示し、かつて詩人ライナー・マリア・リルケも一時期、共に過ごしたことのある、20世紀末の北ドイツの芸術家村ヴォルプスヴェーデからの清澄な風を、八ヶ岳山麓の清里高原へと呼び込みます。そしてその時代と、集った芸術家たちのその後の生涯と作品に思いを馳せ、今日に続く芸術たちの存在の意味を問いたいと思います。
(展覧会案内より)

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138 - 『戦後版画の創世期 1945〜1956』展図録

現代版画センター 1979年 B5判 64P

テキスト:針生一郎「戦後版画の出発点」 収録作品:17作家の版画図版132点 各作家の略歴及び戦後12年間の年譜を収録
1979年に豊田・美術館松欅堂、大阪・梅田近代美術館、東京・ミキモト他で開催された展覧会の図録。
表紙:山口薫「朝昼晩」(1955年 リトグラフ 限定100部 刷り・女屋勘左衛門)
出品作家:恩地孝四郎、長谷川潔、北川民次、平塚運一、福沢一郎、岡鹿 之助、棟方志功、海老原喜之助、山口薫、品川工、浜口陽三、小野忠重、瑛九、浜田知明、駒井哲郎、利根山光人、泉茂。

◆日本の現代版画の流れを捉えたときに、池田満寿夫らが輩出する東京国際版画ビエンナーレが開催されたのが1957年(昭和32年)ですから、その以前の約10年間を「戦後版画の創成期」としてとらえ、この時期に制作された版画を中心に、17人の作家を選んだ企画展図録です。1979年に現代版画センター主催で、銀座・ミキモトほかで開催されました。

・・・・「現代美術の低迷が言われる中、戦後版画の流れをふり返り、全ての可能性を内包していたにちがいない胎動期の作家と作品を、現代美術の一源流をさぐるという観点から17作家を選び展観する所以です。この1945年から、 1956年までの時期は、明治以来の創作版画運動の伝統と、1957年の東京国際版
画ビエンナーレに始まる現代版画の新しいうねりとの狭間に位置し、戦中の抑圧からの解放と、戦後の価値観の激変によって、美術界全体が再編と草創の雰囲気に中にありました。(中略)
このような創成期に、恩地、棟方等の創作版画以来の作家たちが活躍する一方、戦前の前衛美術運動の流れに位置する福沢、山口、瑛九等が魅力ある石版画を生み出し、創作版画の職人的世界から、 版画が現代美術の一ジャンルとして、大きく展開する動きを準備したのでした。ここに選ばれた17作家は、世代も隔たり属したグループも異なりますが、 誰もが必死だったあの時代に生き、描いたという共感が作品の中から伝わってきます。それらは現代に生きる私たちへの貴重な贈りものであり、観る人々に新鮮な驚きと示唆を与えるものと信じます。」(「ごあいさつ」より抜粋)

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137 - 『Josef Albers, Son oeuvre et sa contribution a la figuration visuelle au cours du XXe siecle』

Eugen Gomringer, Josef Albers ジョゼフ・アルバース Dessain et Tolra 1972年 205P

仏文 カバー傷 本文は良好 アルバースのシルクスクリーン16点入り
◆ジョゼフ・アルバース:現代の幾何学的抽象絵画に多大な影響を与えた現代美術作家。カラー・フィールド・ペインティングやミニマリズムなどの確立に大きな役割を果たした。自然から切り離された人工的な四角形を用い、色面に対する関係性を知的に追求し続けた。


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129 - 『山本丘人初期作品展 抒情の原点』図録

山本丘人 草薙奈津子 他 資生堂企業文化部 1992年 B5判 64P

図版多数 監修:草薙奈津子 テキスト:草薙奈津子「山本丘人の初期画業」「作品解説」 山本由美子「父丘人との想い出」 福原愛子「一枚の写真」 海野弘「山本丘人とモダン上野」 綿貫不二夫「山本丘人と資生堂ギャラリー」 略年譜 出品目録(23点) 編集:資生堂企業文化部、アルス・マーレ企画室 
*1991年から開催されたシリーズ企画<資生堂ギャラリーとそのアーティスト達>の第2回展図録
*山本丘人は1932(昭和7)年7月、銀座・資生堂ギャラリーで初個展を開催、そのときの出品作のいくつかは資生堂初代社長・福原信三とその兄弟らが購入し、32歳の日本画家のデビューを支援した


1,000円/ 税込価格 1,100円

128 - 『マン・レイ展―まなざしの贈り物』図録

マン・レイ 資生堂 2004年

函入り 未開封(新品) 箱の中にカタログ、ジグソーパズル、バッチのセット入り
贈り物にどうぞ(プレゼント用包装承ります)
HOUSE OF SHISEIDO で開催された展覧会図録 ファッション写真家としての作品にスポットを当てた

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114 - 『国立国際美術館 所蔵作品選』2004年版

島敦彦 中井康之 他 国立国際美術館 2004年 B5判 287P

図版多数 過去の展覧会一覧1977〜2004 作家索引(約200人)
靉嘔 青木野枝 安斎重男 泉茂 磯辺行久 ウォーホル 瑛九 O Jun  オノサト・トシノブ イリヤ・イカバコフ 草間彌生 駒井哲郎 ジョージ・シーガル 菅井汲 高松次郎 瀧口修造 難波田龍起 イサム・ノグチ 元永定正 森村泰昌 山口長男 山田光 横尾忠則 吉原治良 吉原英雄 若林奮 アルマン トニー・クラッグ デュシャン ルチオ・フォンタナ ベルント&ヒラ・ベッヒャー マン・レイ 他

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111 - 『植田正治作品展〜砂丘劇場』図録

植田正治 Shoji UEDA JCIIフォトサロン 1992年 24.2×25cm 75P

JCIIフォトサロン「植田正治展〜砂丘劇場」(1992年)図録

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110 - 『植田正治と仲間たち』サイン本

植田正治 蔦谷典子 米子市美術館 1992年 29.7x21.0cm  207P

図版241点(うち植田正治 Shoji UEDAは50点) テキスト:植田正治、蔦谷典子

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109 - 『SHOJI UEDA  もの、たち』サイン本

植田正治  池澤夏樹 PARCO出版 1995年 28.5x22.5cm 95P

写真集 図版93点 テキスト:池澤夏樹

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108 - 『植田正治の写真』サイン本

植田正治 Shoji UEDA (財)東日本鉄道文化財団 1993年 29.5x22.8cm 249P

図版237点 
テキスト:アラン・サヤック、岡井毅耀、池上浩生
東京駅の東京ステーションギャラリーで開催された植田正治写真展の展覧会図録

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107 - 『軌道回帰 ポラロイド35mm写真帖』

植田正治 Shoji UEDA 私家版 1986年 23.2x30.0cm

私家版 無綴じ三分冊

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104 - 『吹き抜ける風』

植田正治 Shoji UEDA 求龍堂 2006年 25.6x19.2cm 163P

図版147点 テキスト:金子隆一、植田正治、仲田薫子
東京都写真美術館で開催された展覧会のカタログがわりに刊行された写真集。
表紙は代表作「妻のいる砂丘風景(IV)」(この作品のオリジナル・プリントはときの忘れもののコレクションにありますので、お問合せください)

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