カタログ:新着順

件ずつ

152 - 『ONOSATO オノサト・トシノブ』

オノサト・トシノブ 南画廊 1964年 30.2×21cm 44P

発行:南画廊 発売:美術出版社 カラー図版14点、モノクロ図版4点
テキスト:久保貞次郎、瀧口修造、オノサト・トシノブ
パラフィン破れ、多少の経年変化はありますが、概ね良好

◆戦後の現代美術を画商として主導した志水楠男の南画廊が発行したオノサトの画集です。
「あなたはなぜ『円』をえがくかと、時々質問をうけるのであるが、私自身では、これほどあたりまえなことはないではないかと思うのである。(中略)『円』は、私にとって目的でも、主題でもないようである。」というオノサト自身のことばが印象的です。

◆オノサト・トシノブ(おのさと としのぶ)は、1912年長野県生まれ、本名・小野里利信。
10歳のとき群馬県桐生に移り住む。津田青楓洋画塾に学ぶ。日本の抽象美術の先駆者として、親友の瑛九らとともに戦前、戦後と前衛美術の道を歩み続けた。35年黒色洋画展を結成、38年には自由美術家協会会員となる(〜56年、以後無所属)。41年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国。64年、66年にはヴェネツィア・ビエンナーに日本代表として出品、国際的にも高い評価を獲得した。
油彩の他、約200点の版画作品(リトグラフ、シルクスクリーン)も残した。東京国立近代美術館など多くの美術館に作品が収蔵されている。生涯、円を描き続け86年死去。

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151 - 『元永定正 ハンドブック』

金関寿夫 高橋亨 現代版画センター 1980年 22×11cm 59P

図版・写真:38点(モノクロ) 
金関寿夫「こんな絵を描いたやつの顔見たい、元永定正のこと」、
高橋亨「元永定正のファニーアート」、元永定正 略歴

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150 - 『資生堂ギャラリー七十五年史 1919〜1994』

富山秀男監修  資生堂 1995年 A4変型(30.5×23cm) 736P

編集:資生堂企業文化部  発売:求龍堂 制作:(有)ワタヌキ 収録図版約2,500点 収録展覧会約3,000

編纂委員:阿部公正、飯沢耕太郎、海野弘、五十殿利治、田中日佐夫、富山秀男、横山勝彦、
執筆:赤木里香子、秋山正、阿部公正、飯沢耕太郎、石川毅、海上雅臣、海野弘、大井健地、大泉博一郎、大河内菊雄、大谷省吾、大屋美那、五十殿利治、金子賢治、河田明久、菊屋吉生、北川太一、栗原敦、小池智子、佐々木繁美、島田康寛、清水勲、清水久夫、白石和己、菅原教夫、巣山健、田中日佐夫、富山秀男、中村圭介、中村誠、野地耕一郎、林洋子、福原義春、藤森照信、藤谷陽悦、増野恵子、松永伍一、六岡康光、村上公司、諸山正則、矢口國夫、柳沢秀行、山本武夫、横山勝彦、吉田漱、綿貫不二夫、

◆我が国で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーの歩みと、そこで開催された展覧会の記録を開催当時の資料によって正確に復元したドキュメントである。
美術、写真、工芸、建築、演劇、舞踊、服飾、文芸、デザインなど、あらゆる文化の流れを一望できる。展覧会開催当時の原資料徹底的に渉猟、網羅。今まで不十分だった戦時中の芸術家たちの活動など美術史の空白をも埋める資料性の高い厚い一冊。
大正8年から75年間に展覧会を開催した作家や、主催者・後援者、さらに展評等を執筆した人物は約五千名にのぼり、主催・後援団体は六百余あるが、そのすべてを本文記録編に収録した。特に個展や二人展を開いた約千名については有名無名を問わず略歴を記載し、資生堂を拠点としたグループ・団体については結成の経緯、構成メンバーについても詳述した。どんな作品を発表したかについても作品名はもちろん、図版を豊富に収録してる。
また重要な展覧会や埋もれた作家については、46名の専門研究者がコラムや解説約 190本を執筆しており、読み物としても充分な内容を持っている。資生堂の記録のみならず書誌事項に重点を置いた「関連年表」は一般読者のみならず、研究者にとって便利なものとなるに違いない。
本書には多彩で幅広い分野の人々とグループ・団体が数多く登場するが、それらに関して細大漏らさず、一万件をこえる完全な索引が巻末にまとめられており、美術史研究には欠かせない。
詳しくは、下記をご参照下さい。 
http://www.tokinowasuremono.com/essayg/shiseidou01.html

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149 - 『没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展』図録

駒井哲郎 資生堂 1991年 26×18cm 63P

収録図版:85点(油彩、水彩、銅版、木版、モノタイプ) テキスト:中林忠良、野見山暁治、駒井美子、福原義春、中村稔、河合晴生、 解題:綿貫不二夫 出品リスト 年譜 
企画・編集:資生堂企業文化部、アルスマーレ企画室  デザイン:ディスハウス(北澤敏彦)
*シリーズ企画<資生堂ギャラリーとそのアーティスト達>の第1回展図録

◆「銅版画の詩人」と謳われた駒井哲郎(こまい てつろう 1920〜1976年)は、戦後の荒廃した中でいち早くサンパウロビエンナーレ展で受賞し、棟方志功とともに「版画王国日本」を世界に知らしめた功労者である。若くして日本版画界のスター的存在となり、その後の現代版画をリードし、多くの俊秀を育てた。
東京芸大教授のまま56歳の若さで死去したが、駒井の初個展は1953(昭和28)年に銀座の資生堂ギャラリーで開催された。このカタログは、ゆかりの資生堂が没後15年を記念して1991年に開催した回顧展の美しい図録である。従来のカタログと異なり、モノタイプやカラー銅版など、「色彩画家」としての駒井の側面を強調した内容になっている。

詳しい略歴は、http://www.tokinowasuremono.com/editiong/9komai.html をご参照下さい。
また世田谷美術館の駒井哲郎展カタログに執筆した私の拙文、
http://www.tokinowasuremono.com/essayg/komai01.html も併せてお読み下さい。

1,000円/ 税込価格 1,100円

148 - 『砂丘・子供の四季』サイン本

植田正治 朝日ソノラマ 1978年 20.7x21.7cm

テキスト:山岸章二、草森紳一 図版93点 植田正治直筆サイン入り
*1978年に朝日ソノラマからソノラマ写真選書11として出版されたもので、「童暦」をもとにして、砂丘シリーズの代表作と合わせ1948年から1975年の作品を収録しています。

下に掲載するのは、収録作品の一つで、オリジナル・プリントが2008年に開催したときの忘れものの「植田正治写真展」に出品したのでご紹介します。

「童暦」は、1971年に中央公論社から「映像の現代」第3巻として出版された写真集のタイトルです。1955年頃から1970年頃までに撮影され、写真誌等で発表されてきた作品をまとめたもので、植田正治のフィールドである山陰の自然の中で子供たちの姿を四季を通して捉えたシリーズです。
紹介する作品は、その「冬」からの1枚です。畑の中の一本道、どなたも東山魁夷の1950年の作品「道」を連想されると思います。植田正治ももしかすると「道」を見ていたかもしれません。しかし、東山の道の両脇にあるのは青々とした夏草で、日差しさえ感じさせる一方、植田の道の両側は既に葉のなくなった桑畑で、まっすぐに伸びた白い道の彼方には、マントでも羽織っていそうな二つの影があり、寒風の冷たさを感じます。形は似ても、その印象はまるで異なる作品です。
植田正治は暗室作業を楽しんで行っていました。この作品についても、焼くたびに両脇の畑の焼きこみ具合や、道の白さが違っていて、1枚として同じプリントはないそうです。


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147 - 『靉嘔版画全作品集「虹」1954-1982増補版』

久保貞次郎編 靉嘔 Ay-O 叢文社 1982年 29.7×22.7cm 303P

テキスト:久保貞次郎 靉嘔 図版:モノクロ 156点、カラー 295点 収録リスト 略年譜
*1979年に刊行された同名の作品集にその後制作された作品を加え、1982年までの版画作品のカタログ・レゾネとして新たに刊行された。それぞれの作品に靉嘔自身が詳細な解説を加えていて、作品を理解する上で非常に良い資料になっています。
残念ながら出版社が倒産してしまい、いまや入手困難なカタログ・レゾネです。

◆靉嘔(あいおう)は、1931年茨城県生まれ、東京教育大学卒。デモクラート美術家協会に参加し画家としての出発点で瑛九に大きな影響を受ける。デモクラートの解散声明は靉嘔が起草した。58年渡米し、ニューヨークにアトリエを構える。62年前衛集団「フルクサス」に参加。66年ベネチア・ビエンナーレ出品。69年ジャパン・アート・フェスティバル大賞をはじめ、現代日本美術展、東京国際版画ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなど多くの国際展で受賞。90年日本芸術大賞、95年紫綬褒章受章、日本を代表する現代美術作家として活躍。「虹の靉嘔」と言われる鮮やかな画面構成は国際的にも高い評価を受けている。

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146 - 『菅井汲版画集 オリジナル・リトグラフ2点付 特装本』

菅井汲 大岡信 美術出版社 1970年

無綴じ 状態はほぼ良好。テキスト:大岡信 図版:カラー26点、モノクロ14点
特装版限定80部(34/80)
挿入作品
1)「太陽と地球」 1969年 リトグラフ 34×25.7cm  鉛筆サイン うすシミあり
2)「朝」 1969年 セリグラフィ 34×25.7cm  鉛筆サイン 状態良好

◆1970年に美術出版社から刊行された豪華作品集です。スピード狂だった菅井先生は、67年愛車を運転して交通事故、瀕死の重傷を負いましたが奇跡的に回復します。その直後に制作された2点の美しいオリジナル版画が挿入されています。

◆菅井汲(すがい くみ)は、1919年兵庫県生まれ、本名・貞三。
18歳で阪急電鉄宣伝課に入りデザイナーとして活躍、プロ野球の阪急ブレ−ブスのマークや、戦後初めての甲子園野球大会のポスターなど制作した。はじめ中村貞以に日本画を学び画家を志すが、52年フランスに渡り、以後晩年までパリに暮らした。渡仏後はクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。55年から版画制作を開始し、リトグラフ、銅版、シルクスクリーンなど生涯に約400点を制作した。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞した。
1996年日本で死去。没後、東京都現代美術館他で大回顧展が開かれ、単身で世界に挑み、成功をかち得たこの作家の存在の大きさにあらためて感銘を受けた人も多いでしょう。

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145 - 『SUGAI』オリジナル・リトグラフ2点付特装本

菅井汲 ジャン=クラランス・ランベール リブロポート 1991年

函付 テキスト:ジャン=クラランス・ランベール 訳:永盛克也
特装版:限定99部(42/99)
挿入作品
1)「作品」リトグラフ 23×16cm 限定99部 鉛筆サイン
2)「作品」リトグラフ+エンボス 26.5×20cm 限定99部 鉛筆サイン

◆菅井汲(すがい くみ)は、1919年兵庫県生まれ、本名・貞三。
18歳で阪急電鉄宣伝課に入りデザイナーとして活躍、プロ野球の阪急ブレ−ブスのマークや、戦後初めての甲子園野球大会のポスターなど制作した。はじめ中村貞以に日本画を学び画家を志すが、52年フランスに渡り、以後晩年までパリに暮らした。渡仏後はクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。55年から版画制作を開始し、リトグラフ、銅版、シルクスクリーンなど生涯に約400点を制作した。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞した。
1996年日本で死去。没後、東京都現代美術館他で大回顧展が開かれ、単身で世界に挑み、成功をかち得たこの作家の存在の大きさにあらためて感銘を受けた人も多いでしょう。

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142 - 『写真を愉しむ』

飯沢耕太郎 岩波書店 2007年

岩波新書 新赤版 1106
飯沢耕太郎/著
ISBNコード 978-4-00-431106-5
(4-00-431106-3)
税込価格 777円
頁数・縦 212,9P 18cm

2007年初版 目次
***************
はじめに

I 見る愉しみ―写真展を体感する
  1写真展に行ってみよう
  2写真ギャラリーを回る
  3美術館と写真
  4インターネットという新しい場
  5「見る」から「見せる」へ

II 読む愉しみ―写真集を読み解く
  1写真集とは何か?
  2写真集の歴史
  3写真集の形式
  4こんな写真集もある

III 撮る愉しみ―写真を使って表現する
  1写真を撮るということ
  2写真家になるには
  3ポートフォリオをまとめる

IV 集める愉しみ―写真コレクションを作る
  1写真とコレクション
  2写真作品を集める
  3写真オークションに参加する

デジタル時代の写真の愉しみ―あとがきに代えて

必見写真集―ベスト八冊ガイド
参考図書一覧
写真ギャラリー・美術館ガイド
***************
写真コレクションの手引きとして入門書的な新書ですが、「見る」「読む」「撮る」「集める」という四つの視点から写真を取り上げています。非常にわかりやすい文章で、大事なポイントはきちんとおさえてある。さすが写真評論の第一人者ですね。
写真関係の入門書は数々あれど、<コレクションする>点に重点をおいたものは余りありません。

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141 - 『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』

洲之内徹

洲之内さんが亡くなったのは1987年(昭和62)10月、享年74でした。
ご存知ように生前の洲之内さんは銀座で現代画廊を経営しており、文章家としても『芸術新潮』に長期にわたりエッセイを連載され、多くのファンに囲まれていました。
今回出版された本には、佐藤哲三、梅原龍三郎、松本竣介、海老原喜之助、野田英夫、浅井忠、難波田龍起、萬鉄五郎、靉光、恩地孝四郎、吉岡憲、青木繁、北脇昇、長谷川利行、藤牧義夫、村山槐多など近代日本美術史を彩った作家たちに混じり、小野隆生作品も掲載されています。いわゆる「洲之内コレクション」といわれる作品群です。
*図版は本書の156〜157ページに掲載された小野隆生の「少年(1976)」(左)と「記憶(1977)」の2点。

1976年5月24日〜6月2日の会期で小野隆生の初個展が洲之内徹経営の銀座・現代画廊で開催されました。
その当時の小野先生については、『芸術新潮』に連載された「気まぐれ美術館」に洲之内さんが詳しく書いているのでここでは触れませんが(新潮文庫『帰りたい風景 気まぐれ美術館』参照)、小野隆生の出発点が現代画廊にあり、その頃の作品を洲之内さんは死ぬまで自分のアパートに保管していました。没後それらは、他の作品とともに洲之内コレクション「気まぐれ美術館」として一括して宮城県美術館に収蔵されました。
1994年開催の宮城県美術館の「洲之内コレクションー気まぐれ美術館ー」図録には146点が収録されていますが、小野隆生作品は洲之内さんが最後まで手放さなかった、つまり盗んでも自分のものにしたかった絵ということになるでしょうか。
洲之内コレクションの一点「記憶」は姉弟らしき二人が描かれていますが、小野先生の記憶によれば同じようなモチーフの作品を当時8点ほど制作したようです。

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140 - ウィトゲンシュタインの建築(新版)

バーナード・レイトナー編/磯崎新訳 青土社 2008年 184P

1989年刊行書の復刊

新版のための訳者あとがき
 はじめてこの建物の前に立ったのは一九六八年のこと。ミラノで五月革命の余波にまきこまれ、パリへは行けずウィーンを廻った。このときハンス・ホラインがストンボロウ邸が売りに出されているといって一緒に見に行った。勿論なかには入れてくれなかった。
 しばらくして、ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』(一九七二)にその内部の光景が記録されていることが話題になった。私は見る機会がなかった。それでもバラバラの情報があったのか、私は『表現の構造について』(『岩波講座 文学1文学表現とはどのような行為か』一九七五、岩波書店)でウィトゲンシュタインの「いえのかたちをした論理」について書いた。
 その参考のためだったかどうか、前後の記憶がおぼつかないけど、この『ウィトゲンシュタインの建築』の逐語訳をしてあった。それが多木浩二さんの手に渡って、十年余りのちにこの本になった。そのあたりのことは、『栖(すみか)十二』(一九九九、住まいの図書館出版局)のなかの第八信「ストンボロウ邸」のなかでふれてある。
 いまでは『建築家・ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン』(Ludwig Wittegenstein, Architect by Paul Wijdeveld, The MIT Press,1994)など、数多くの研究書があらわれている。だか、このバーナード・レイトナーの本が出版されたときの清冽な印象をこえるものはまだない、と私は思う。誰もが引用する『論理哲学論考』の箴言、「―およそ語られうることは、あきらかに語られうる。そして語りえないことがらについては沈黙しなければならない。」を、そっくり本のかたちにしているからだ。正確な図面と写真だけがあって、余分なものがいっさいはぶかれている。そんなわけでこの「あとがき」も無用だと思うけど、四〇年前にうすよごれた箱型の物体を見上げたときの記憶に免じて蛇足をお許し願いたい。
 二〇〇八年五月    磯崎新(あとがきより)

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139 - 『リルケとフォーゲラー展』図録

ギャラリー譚詩舎 2008年

山梨県清里・「ギャラリー譚詩舎」で開催された展覧会図録
「二十世紀前半は史上希にみる激動の時代だった。とりわけドイツ語圏は、第二帝政興隆期、第一次世界大戦、ワイマル共和国時代、そしてナチ独裁制時代、第二次世界大戦と、社会はほとんど十年単位で目まぐるしく、しかも根こそぎ変化するというありさまだったから、この時期を生きてゆく詩人や芸術家はだれしも社会の激流に翻弄されて苦しみ悩んだ。たいていの人は5年ないし10年ぐらい表舞台で活躍すると消えてゆくというふうに、文学・芸術の担い手も激しく交代した。その間にあって、時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いたのは小説家トーマス・マンと演劇人ベルトルト・ブレヒトだけといってよい。詩人にはそういう存在は見当たらないが、さしずめリルケが長生きしたとすれば、その二人と肩を並べる仕事をしたかもしれない。しかし反ナチズム色の弱い、壮大な内面世界の構築を推し進める方向のものとなったであろうと想像される。ところでフォーゲラーについてはどうだろう。彼は時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いた人だったといえるのか。あるいは、フォーゲラーの人生は錯誤の連続だったのだろうか。」(神品芳夫 「リルケとフォーゲラー」より)
1911年(明治44年)12月、雑誌「白樺」はハインリッヒ・フォーゲラー特集号を出し、柳宗悦が「フォーゲラーの芸術」という題の評論によって、フォーゲラーを日本に紹介しました。そのとき口絵に使われたのは「春」(1896年)でした。 
今夏、ギャラリー譚詩舎では、ハインリッヒ・フォーゲラーの初期のエッチングを展示し、かつて詩人ライナー・マリア・リルケも一時期、共に過ごしたことのある、20世紀末の北ドイツの芸術家村ヴォルプスヴェーデからの清澄な風を、八ヶ岳山麓の清里高原へと呼び込みます。そしてその時代と、集った芸術家たちのその後の生涯と作品に思いを馳せ、今日に続く芸術たちの存在の意味を問いたいと思います。
(展覧会案内より)

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138 - 『戦後版画の創世期 1945〜1956』展図録

現代版画センター 1979年 B5判 64P

テキスト:針生一郎「戦後版画の出発点」 収録作品:17作家の版画図版132点 各作家の略歴及び戦後12年間の年譜を収録
1979年に豊田・美術館松欅堂、大阪・梅田近代美術館、東京・ミキモト他で開催された展覧会の図録。
表紙:山口薫「朝昼晩」(1955年 リトグラフ 限定100部 刷り・女屋勘左衛門)
出品作家:恩地孝四郎、長谷川潔、北川民次、平塚運一、福沢一郎、岡鹿 之助、棟方志功、海老原喜之助、山口薫、品川工、浜口陽三、小野忠重、瑛九、浜田知明、駒井哲郎、利根山光人、泉茂。

◆日本の現代版画の流れを捉えたときに、池田満寿夫らが輩出する東京国際版画ビエンナーレが開催されたのが1957年(昭和32年)ですから、その以前の約10年間を「戦後版画の創成期」としてとらえ、この時期に制作された版画を中心に、17人の作家を選んだ企画展図録です。1979年に現代版画センター主催で、銀座・ミキモトほかで開催されました。

・・・・「現代美術の低迷が言われる中、戦後版画の流れをふり返り、全ての可能性を内包していたにちがいない胎動期の作家と作品を、現代美術の一源流をさぐるという観点から17作家を選び展観する所以です。この1945年から、 1956年までの時期は、明治以来の創作版画運動の伝統と、1957年の東京国際版
画ビエンナーレに始まる現代版画の新しいうねりとの狭間に位置し、戦中の抑圧からの解放と、戦後の価値観の激変によって、美術界全体が再編と草創の雰囲気に中にありました。(中略)
このような創成期に、恩地、棟方等の創作版画以来の作家たちが活躍する一方、戦前の前衛美術運動の流れに位置する福沢、山口、瑛九等が魅力ある石版画を生み出し、創作版画の職人的世界から、 版画が現代美術の一ジャンルとして、大きく展開する動きを準備したのでした。ここに選ばれた17作家は、世代も隔たり属したグループも異なりますが、 誰もが必死だったあの時代に生き、描いたという共感が作品の中から伝わってきます。それらは現代に生きる私たちへの貴重な贈りものであり、観る人々に新鮮な驚きと示唆を与えるものと信じます。」(「ごあいさつ」より抜粋)

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137 - 『Josef Albers, Son oeuvre et sa contribution a la figuration visuelle au cours du XXe siecle』

Eugen Gomringer, Josef Albers ジョゼフ・アルバース Dessain et Tolra 1972年 205P

仏文 カバー傷 本文は良好 アルバースのシルクスクリーン16点入り
◆ジョゼフ・アルバース:現代の幾何学的抽象絵画に多大な影響を与えた現代美術作家。カラー・フィールド・ペインティングやミニマリズムなどの確立に大きな役割を果たした。自然から切り離された人工的な四角形を用い、色面に対する関係性を知的に追求し続けた。


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136 - 『美の狩人』

梅野隆 西田書店 1986年 A5判 157P

初版 カバー 帯(破れ) 在野の批評、在野の蒐集(帯より) 目次(抄):はじめて買った絵ー靉光 再会ー阿以田治修 本郷団子坂の店ー今西中通 掘り出しの話ー山本鼎 他、
谷中安規  ホドラー 山崎省三 中村忠二 吉田卓 野口謙蔵 原撫松 上野山清貢 板祐生 橋本平八 新海竹蔵 井垣嘉平 坂本繁二郎 古賀春江 鳥海青児
*著者は画廊「美術研究藝林」を経営、現在は長野県・東御市梅野記念絵画館館長

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135 - 『夢二は旅人ー未来に生きる詩人画家』

秋山清 毎日新聞社 1978年 A5判 238P

初版 カバー  目次(抄):対談/青春の土の匂い、竹久夢二(秋山清・森本哲郎)、竹久夢二と恩地孝四郎(秋山清・恩地三保子)  榛名山産業美術学校について

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134 - 『東京おもかげ草子 』

佐野都梨子 東京新聞出版局 1975年 214P

ビニールカバー、カバー 帯 目次(抄):御維新の江戸 日露戦争の頃 消えた商売 乗り物往来 関東大震災 
*原題「維新から東京へ 母娘の見た東京」

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133 - 『ビアズレイの芸術と系譜』

関川左木夫 東出版 昭和55年 183P

改訂版 カバー 目次(抄):ビアズレイ芸術と輸入の初期 橋口五葉 戸張孤雁と近藤浩一路 「月映」の画家(恩地孝四郎 田中恭吉 藤森静雄) 資生堂の画家(矢部季 小村雪岱 山名文夫と山六郎) 谷中安規

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132 - 『銀座の怪人』

七尾和晃 講談社 2006年 341P

初版 カバー 帯 贋作絵画を大量に売り込み、銀座の画商たちを操った稀代の詐欺師の真相に迫るドキュメンタリー

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131 - 『客はアートでやって来る』サイン本

山下柚実 東洋経済新報社 2008年 239P

初版 カバー 帯 73%がリピーターとなる奇跡の温泉宿。菅木志雄などの現代アートを取り入れ、寂れた那須の温泉街に新風を吹き込んだ板室温泉・大黒屋旅館の室井俊二の軌跡を描く
著者:http://www.yuzumi.com/

1,600円/ 税込価格 1,760円